アクアリウムデザイン(principles 改め)

今日はなぜか

  • human-centric、シンプル (<-> 複雑、高機能)
  • 俯瞰(<-> 局所最適化)

といったタームをよく思い出す。

今朝見ていた携帯コンテンツフィルタリング@クローズアップ現代の中で柳田邦男は地域社会で協力して子供を育てる大切さを語り、コンテンツフィルタリングを諸問題の一つとして扱っていた(対処的解決でなく根本的解決に至るには、スケールをひとつ上げて考えるという話)。
読み始めたばかりのレイ・カーツワイルの本は収穫加速の法則によって速度を増す技術進化を説いており、それは生物進化から繋がる本質的なものだと言っている(局所的なものや一時的な速度アップではない)。


リーンソフトウェア開発とフィンランド教育改革のキモは good pieces(教師、現場、エンジニア)の育成と権限委譲だった。
(育成や権限委譲可能なネットワークのビルドが(集中管理的なものに置き換わる)マネジメントと言えるのかも知れない)


組織でもソフトウェアでも社会的なメソッドでも(と混ぜるのは危険だけど)全体からみて上手く動く good small pieces は管理的な設計ができないのではないか。
本質的に uncontrollable なものだという感覚を覚えている。(自分の管理外にあるオブジェクトがうまく機能するような、例えばアクアリウムデザインに似た感覚かも)

そこで principle が大切になる気がする。
Small Pieces Loosely Joined, Open もそうだし、Simple & Stupid, human centric もそうだ。

こういった principle は何かにトライして失敗する中から得られる気がする。回数と質を上げよう。特に質。(todo: 質、回数を上げるためには何をすればよいか)
また、既にある知恵(自然界の組成、知の再評価)から得られる気がする。

コントロール出来たものが出来なくなったように、色んな場所で - というより全体の速度が上がって広い領域でルールの組み直しが発生しているのではないか。


まとまらないけどメモとして。

replaceable という言葉も思いついた。(最適化の代わりに、インタフェース or アーキテクチャの変化は遅く(外部に連動)、内部(実装、方法)の変化は早い。つまり全体の進化に合わせた低速部分と先端のテクノロジを追う高速部分、一つのオブジェクトの中に二つの速度領域を併せ持つ。)


「別の軸?」と言われた。そうかも。数学の話は興味深い。